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平和への道

 68年前の昭和20年(1945年)8月6日には広島に、9日には長崎に原子爆弾が投下され、同15日に日本は“終戦”を迎えました。「核兵器のない世界」をめざすなか、被爆者の平均年齢が78歳を超え、戦争体験の風化が憂慮されている昨今、戦争の悲惨さ、平和の心を語り継ぐことは益々重要になっています。
 当園でも「戦争は悪い」ことを話し合いました。Sちゃんは「せんそうは いけない しんじゃうから」、Eちゃんが「しらゆきひめの どくりんごみたい!」と言うと、Sちゃんが「しらゆきひめは しぬけど いきかえるんだよ!」と。別のSちゃんが「てっぽうでうたれたら パパしんじゃうよねえ もものジュースとか イチゴのジュースのつくりかた わからなくなっちゃうよ」と、沈んだ声で話して下さいました。別のEちゃんが「ママがてっぽうでうたれたら Eちゃんの おじいちゃんも パーン! じゃないけど しんじゃったし ひとりになってしまうよ」と、悲しそうに話して下さいました。「お父様、お母様のお話をよく聞く、先生のお話をよく聞く」等も話し合いながら、園児達と一緒に「戦争は、してはいけない」「喧嘩は、してはいけない」ことを確認し合いました。
 加藤周一、鷲巣力編の『羊の歌』余聞の中に以下の文があります。
「まず日本人」主義者と「まず人間」主義者との多数少数関係は昭和45年8月を境として逆転した———ように見える。しかし本当に逆転したのだろうか。もしそのとき日本人が変ったのだとすれば、「それでもお前は日本人か」という科白をこの国で再び聞くことはないだろう。もしその変身が単なる見せかけにすぎなかったとすれば、あの懐しい昔の歌が再び聞こえてくるのも時間の問題だろう。あの懐かしい歌———「それでもお前は日本人か」をくり返しながら、軍国日本は多数の外国人を殺し、多数の日本人を犠牲にし、国中を焼土として、崩壊した。その反省から成立したのが日本国憲法である。その憲法は人権を尊重する。人権は「まず人間」に備わるので、「まず日本人」に備わるのではない。国民の多数が「それでも日本人か」と言う代わりに「それでも人間か」と言い出すであろうときに、はじめて、憲法は活かされ、人権は尊重され、この国は平和と民主主義への確かな道を見出すだろう。と。
 平和ほど尊きものはありません。平和ほど幸福なものはありません。平和こそ人類の進むべき根本の第一歩でなければなりません。「戦争の悲劇」から「平和の創造」へ、 全世界の平和と民衆の幸福を成し遂げてゆく「主体者」であり「責任者」となるように成長していく「心」を、未来に生きる子ども達の生命から引き出し最大に励ましながら保育して参ります。





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